全力少年

こんにちは!
meSANGA Project代表のこちまきです!
生まれは沖縄、育ちがネパール、秋田の大学に通い、今はマレーシアに留学してます。まだ人生経験21年なんですが、お陰様で普通の同年代よりは稀有な人生を過ごしてきました。
今週から何週間かに分けて、僕のネパールでの7年間をぎゅっと詰め込んでブログにしていきます。なっがーい前置きになりますが、最後までお付き合いいただければ、僕がなぜネパールに行くのか共感していただけると思います。しばしお付き合いください。
幼稚園を日本で過ごした僕ですが、年長さんも最後、ランドセルを背負う時期が近づいてきた時、周りがみんな自分の通う小学校の名前を嬉々として先生に報告してる中、僕1人だけ自分の通う小学校の名前を言えなくて泣きそうなくらい悔しかった記憶があります。
2003年7月に両親に連れられ僕はネパールに足を踏み入れました。記憶は無いですが、ついた初日から39度の高熱。水も電気も不足していて、道路は人と車と牛と犬が錯綜し、街の至る所にあるゴミにはカラスがたかっているような混沌とした環境。日本語も通じず、当時の僕は英語も喋れない。でも今思うと子供のポテンシャルは計り知れないですね。風邪が完治した次の日くらいからは僕のまわりには仲間が集まっていました。っと言うよりは、僕の持ってるサッカーボールのまわりに仲間が集まっていました。ボールはトモダチとどこかの翼くんがいつも言っていますが、まさしく僕にとってトモダチを作るに必要だったのがサッカーボールでした。知らない環境、知らない言語、知らない風景、知らない人達、けど変わらないサッカーのルール。毎日飽きることなく朝から晩までサッカーしかしないような少年でした。
現地で最初に通うことになるM校は国語以外の授業が全て英語の私立小学校でした。計ってか計らずか、同じ学年に1人の日本人がいたことが僕にとって大きな大きな心の支えでした。その子は一年足らずで日本に帰国しましたが、先生と僕の仲介を担ってくれて彼が帰国する頃には僕の英語レベルもかなり上達していました。さてそこからの僕はまさにクラスの中心。幼稚園児の時から皆の中心で、活発にグランドを駆け巡るような子供だったので、国が変わっても僕の目立ちたがり本質は変わらず(笑)スポーツも勉強も友達関係も一切問題なく生活していました。この学校で僕はネパール生活その後を大きく影響させた親友W君に出会います。
彼がどう影響し、僕のネパール人生を変えたかは次回のブログで。
それではまた!

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当サイトはmeSANGAプロジェクトの活動をより多くの人に応援してもらうために作成しました! 僕たちの活動を通してネパールのポテンシャル、学生の情熱、人と繋がることの素晴らしさが伝われば幸いです。

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