全力少年③


こんにちは!
全力少年第3話までお付き合いただきありがとうございます!
前回からだいぶ時間経ってしまって申し訳ない。
学校生活から得た自由な価値観がmeSANGAプロジェクト運営に活かされている。というのが全話のあらすじ。
もう一つ僕の型を作ったのがネパールでの生活(当時と今とでは多少の差があります)。
僕がいた頃のネパールはなかなか民衆の自由が制限されているような「王国」でして(今は民主国家ですよ)。
民主化を望むデモ隊と軍・警察の衝突はしょっちゅう。
普段デモやストライキは新聞等で予め告知するのですが、たまに急なゲリラ戦もあるのでその時は即時帰宅、もしくは安全地域に住んでる友達の家に暴動が収束するまで待機するということも。
災害時の避難訓練の他に、ストライキを想定しての避難訓練も定期的に行ってました。
誤解してほしくないですが、僕自身危ない目にあったことは一度もありませんし、デモ隊も子供とか外国人を傷つけようとは思ってないので案外大丈夫ですよ。燃やされてるタイヤとかが道の真ん中に転がってるくらいで笑
もう一つの特徴は不足がとにかく多いこと。
水。電気。ガソリン。過程の営みに欠かせないものが全て不足してました。
水に関して、水道が使える時間が1日数時間の時も。お風呂は週1か2。雨水→洗濯用水→トイレ用水へと2度の再利用。毎朝手動ポンプで水を組み上げるのが日課でした。
電気に関して、1日計画停電が16時間の時も。冷蔵庫もあけたら秒で締める。デスクワークもいつ電源落ちてもいいように20分毎にデータセーブ。
ガソリンは1Lのために1日以上並ぶことも(これに関しては父親が大変だったかな)。車中泊結構あったそうですね。
冬の時は電気も灯油もないので0度近く冷える時でも暖房機器などなく、毛布2重+寝袋の中に厚着で包まってサナギ状態で毎日寝てました(子供の僕の寝相は芸術の域に達していたので、当然起きる頃には羽化したかのごとく全てが脱ぎ捨てられていました)。
さて、そんなネパール、豊かに有り余ってるのが“人の優しさ”です。
確かに、観光客と見るやぼったくりにかかってくる人たちはいます。
けど、ほっとんどの場合ネパールの常識はジャイアンのそれとは正反対。
自分のものはみんなのもの
その精神がいろんな時に見ることができました。
象徴的な出来事だったのがネパールで起きた地震の時。約8000人が無くなり、文化遺産含め多くの建物が倒壊し、甚大な被害があったあの時。
僕も地震の直後にボランティアをしに行きました。
自らの家も倒壊しているのにせっせと他人の家の修繕を頑張るお父さんたち、お母さんたちは他人の子どもも預かり、何より遠い日本から来てくれたということで食事も滞在中全部賄ってくれたこと。僕がお金を渡そうとしても頑として受け入れてくれませんでした。
折半さえも断られました。
世界で最も金を持ってるはずの僕たちが、世界で最もお金がないであろう人たちから。
見返りを求めるわけでも、何か裏があるわけもなく。
帰る時には「ありがとう」と手土産まで渡され、「また遊びにおいで」と声をかけてもらえること。
次回、最後になりますがこのネパールの光景を多くの人と分かち合いたくてmeSANGA プロジェクトを作ります。
meSANGAプロジェクトにかける想いを最後に綴りたいと思います。

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当サイトはmeSANGAプロジェクトの活動をより多くの人に応援してもらうために作成しました! 僕たちの活動を通してネパールのポテンシャル、学生の情熱、人と繋がることの素晴らしさが伝われば幸いです。

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